「しのびよる不安」
めをあわせたら だめなのよ
さびしそうでも だめなのよ数日前にあったハチクロ映画を観てたら、クレパスが使いたくなったのよ。あの映画はあこがれすぎて胸が痛くなりますね。蒼井優のかわいさもひっくるめて。
☆☆☆
車の運転免許についての話が出ると、いまだになんだか落ち込んでしまいます。笑い話にしてはみたけど、小さなかさぶたのように傷口が傷む。
もたもたしてて教官に怒鳴られる恐怖が克服できなかったこと、涙が止まらなくなったことが原因でやめたというのは、客観的には「なんだその程度で!」というレベルのことなんだと思う。実際私もなんでこんなことで最後までやれなかったのか、と思うし。
だけど、もう一度やってみたら?と言われたってできないのです。どうしてもこれだけは、できない。事故るのが嫌なんじゃなく、いまだどうしても克服できない幼い頃の叱責への恐怖、失敗したときの自己否定感に再び向かい合わなければならないのが怖い。小学校一年生の、「何故そんなことができないの」といわれ続けていた情けない自分に逆戻りしてしまうことがとてもとても怖い。叱責の記憶はカプセルみたいになっていて、ふたを開けると無数のカプセルが飛び出してくる。同じ色の、とても苦い。
恐怖の原因をこうやって文章にするのは驚くほど簡単。だけど、それを口で他人に説明するのはうんと難しいことに思える。だって結局、それって不幸自慢だもの。こんな辛いことが昔あったんです、だからその話題について触れないで、根掘り葉掘り聞かないで、なんて、ばかみたいな話だ(そんなばかみたいな話を、文章にならいとも簡単にやってしまうこの矛盾)。私はただの根性無しじゃないのよ、って言いたいのかしら、私。やっぱり根性なしじゃないの。
もうやめよう。一人二役で叱りっこ劇なんかするの、不毛なことこのうえない。とりあえず気持ちが沈んだ理由は文章化してはっきりしたので、あとは半日絵で昇華しようと思います。たちなおれよわたし。