つぶやいたり、描いたり。波に攫われる前の、ほんの一瞬。

カフェモカ。コーヒーらしい飲み物は初めて飲んだ。



ここは読書に絶好の場所。



だけど、ちゃんと知ってるよ。この時間はいつまでも続くわけじゃない。

いつまでも、続けてちゃいけないんだ、きっと。




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旭川の土手。川の水が冷たい(>_<)



あんまり静かすぎて嘘のよう。(ここまで書いたとこで、耳元でぱさぱさ音が。鳩の群れが私すれすれに飛んでいきました。いい日だなあ。)




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荷物は両手にぎっしり。

さて。



どこに行こう?




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これまた家族の本(例によってぼろぼろ、しみだらけ!)。昭和四十七年刊、って書いてある。古ー。



表紙は、パウル・クレーの<ゴールのランナー>という絵です。クレーの絵、好きなんだけど、この絵はゴールして嬉しそうというより、おどけたポーズで顔は無表情、という感じ。虚無的だったり、なんとなく不安になる絵なの。

読んでみて、ああ、内容にぴったりな絵だったんだと思った。



収録作は、芥川賞受賞作「三匹の蟹」と、三部作になる「青い落ち葉」の四篇。

「三匹の蟹」なんだけど、正直あまり集中して読まなかったのも手伝って、ぴんとこず。倦怠期の夫婦(子供も何だか屈折してる)の妻が主役なんだけど、アメリカ社会の社交にうんざりし、夫やその友人たちにも苛立って、すさんだ心を抱えて家を抜け出して、若い男性と逢引してみたりするんだ。でも、どこまでも冷めてるの。

会話が多いのと、あまりにもペダンチックな雰囲気が強いのに疲れた・・・という感想以外、とくに何も感じなかったなあ、私は。



「青い落葉」は、アメリカの大学で美術を学ぶ奔放な女性サキが、さまざまな男性たちの間を行ったり来たりする話。ふらふら泳いで、期待して、苛立って、求めた挙句に徐々に諦めへと向かっていくのが悲しい。灰色の、ふてくされたような苛立ちが、話が進むにつれて薄れていくのが悲しいのだ。

ひとつひとつあらすじと感想を書こうと思ったけど、頭の中でたくさんの言葉がぶつかって、うまく書けないのでやめた。そのかわり、サキという女性について色々書いてみよう。これまたうまく書けるかどうかわからないけど。



サキは、どこにも属することが出来ない代わりに、それらをすっぱり捨て去ることも出来ない女性。アメリカという国の社会の仕組みや、アメリカ人が自分たち「よそ者」を見る目に違和感を感じつつ(そしてまた、「よそ者」としてクールな目でアメリカを眺めつつ)、日本にも居場所を見つけることができない。

それは、彼女が交渉を重ねる幾多の男性たちとの関係においても言えることだ。それぞれの男性の欠点や無邪気さ、彼女に対する幻想をあざ笑いながら、その一方で彼らの中にあるものに憧れ、擦り寄っていく。常に失望しつつ、何かを期待してさ迷っているようなところがある。全てを見限ってしまっている夫のガクとは対照的だ。



サキは、思考する粘土細工のような印象の女性。多くの男性に(男性だけじゃなくて、多分読んでいる者にも)インスピレーションを与えたり、この女はこうこうこういう存在である、というイメージを抱かせたりする。そのイメージは、彼女が気付いていないものであったり、全く的外れであるものであったりするのだけど、サキという人は、相手が自分に抱くイメージというものを実に敏感に感じ取るのだ。そして(うんざりしたり、苦笑したりしつつも)そのイメージに捏ね上げられていく。男性陣は、だからこそどこかで彼女を恐れるのだけど。どの男の手の中でも変わっていくだろうということ。だけどどの手もすりぬけていくものがあるということ。この女は、いったい、何なのだろう?という苛立ち。



そしてサキは、化学の実験に使う薬品のようでもある。彼女に浸かると、男たちは常に自分がどういう人間なのか意識させられる。皮が溶かされて、自尊心や、狡さや、女に対する意識や、自分の人種に対する意識、社会への視線、なんかがむき出しになって眼前につきつけられるみたい。抵抗を感じつつ、みんなどうしようもなくサキに惹かれてしまうんだなあ。



はじめは、このサキの持つ女性性、というか娼婦性がどうしても辛くて嫌だったんだけど(作品中でも、同性にはとことん嫌われる)、気づけばものすごく魅力的なヒロインに思えてきた。うーん、なんでだろう。





ところで、登場人物の台詞の端々に出てくる、家庭、制度、社会・・・なんかに対する皮肉とか、芸術論は、作者の考え方そのものなのかしら?それとも、二重の皮肉なのかしら?

前者じゃないといいなあ。それはあまりにも露骨で、鼻につく描き方だと思うから。
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ユキダルマ部隊。真ん中の以外は、去年のクリスマスに貰った紅茶のおまけ。味な真似を…。



(それにしても、ワタシってばいったい何やってるのかしら!わざわざ隊列組ませたりして;)




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街はいずこもクリスマスモード。FMなんか、クリスマスの曲の見本市みたいなんだから!



つられて、早々とクリスマスツリー登場と相成りました。うきうき気分に感染、というところ!。

楽しいクリスマスになりますよーに!




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こちらは薄。日の光が手のかたちになって、おいでおいでをしてるみたいだ。絵にも描いてみたいけど、案外難しいのだ。



一面のススキ野原、なんて行ってみたいなあ。寝転んで空を眺めたい。






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土曜日、母との日帰り旅にて。イロハモミジ。



風景は、やっぱり携帯じゃ小さすぎてだめだね。でもま、せっかくだしということで、ぱちり。




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ルリダマアザミ。ドライフラワー。



今回の流れ星は見なかった。願い事したくなるに決まってるから。



こないだのは、叶ったけど。叶ったら余計、悲しくなった。

だからもう、願わないんだ。会いたいなんて。


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十年来の相棒。

アナログが好き。間違えるとこが。やり直しきかなくて、欠点がもろに出るとこが。



それから、ゆっくりしか描けないとこも。



そんなわけで、今日もちまちま描いている。いつもと変わらぬ休日。






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菊の一種。玄関に飾ってある。



いつも薄暗い場所で、ちょっと可哀想。




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花が咲きました。



ちょうちょには、ならないの?




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タイトル通り、高校生が授業や受験問題で目にするような評論文に出てくる「これ、どういう意味かな?」というキーワードを説明した本。例えば、「イデオロギー」「アプリオリ」「現存性」・・・など、いきなり目にするとそれだけで「きゃーわからん!!!」と思ってしまいそうな(というか、ワタシは現役のころ、混乱していた)語句が、色んな切り口から詳細に解説されてるんだ。現代社会に沿った具体例が、理解を深めてくれるよ。



さて。高校を何年前に卒業したかは数えないようにしている、管理人ですが・・・。ほんとに「何でいまさら?」と思われそうだけど、現役時代も今も、「評論文」というものが苦手なのですな、ワタシ。けれどどんなに避けていても、ここに出てくるような哲学系の用語というのは結構お目にかかる機会も多いわけで・・・・思いきって、苦手克服の一歩のつもりで、読みました。折りしも、今のバイトでも使う言葉が多かった。



うーん、なるほどねえ・・・こういう意味だったんだー、と思うことしばしば。100のキーワードのうち、軽く八割の語句の意味を知らなかったことが判明(汗)。高校生でも、こういうのばんばん使ってる子もいるんだろうなあ。私はまだ、「どうやって使うか見当もつかない道具」の使用説明書を手にして、ふむふむと言ってるレベルですよ。これではまだ、言葉は言葉として機能しないなあ。

ここで例として出てくるようなシチュエーションのとき、自然にそういう語句が出てくるまでには、もっともっと思考力を養っておく必要があるなと痛感したのでした。



でも、そういうのよりも印象に残ったのは、「テクスト」の解説。ここに、作者を重視するんじゃなくて、あるテクストを別の文献や時代背景と絡めて読んでいく、という文学研究の意義が詳しく載ってたのです。私は大学時代文学部だったんだけど、知人に「文学部の勉強ってさ、つまりは好き勝手な読み方をするだけの自己満足の域を出ないものだよね?」と言われて悔しい思いをしたことがあったのです。「それって、なんか違う!」と思ったけれど、うまく反論できなくて。

でもここには、そのテキストをつつきまわすだけじゃなくて、新たな切り口を開拓することによって新しい創作的試みを行う、という意味での文学研究が載っていた。もちろんそれは、元のテキストに種をいくつも植えてそこから芽を出すようなものでなくちゃいけなくて、全くテキストをかすりもしない土壌に種を撒いちゃうと、やっぱり「自己満足でしょ」と言われても仕方ないのだけど、「あのときこういう風に反論すればよかった!」と今更ながら思うとともに、学生時代、あまりそういう自覚無く授業や卒論に取り組んでいた自分を恥じたのでした。ああくやしい!



そうそう、語の説明だけじゃないんだ。、本の最後のほうには、有名な哲学者や社会学者の紹介(ソクラテス、ヘーゲル、ニーチェ・・・など)が載ってます。語の説明のところにも、色んな哲学の流派が紹介されてるし、そちらも興味深いです(何言ってるのかわからないものもたくさんあったけど;)これを手がかりに、ぼちぼち哲学というものにも触れてみようかなあ、なんて思ったりしているのでした。いつになるかわかんないけど!
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寄り道。スタバにて。



抹茶フラペチーノ(ライトにし忘れた)。色が好きなの。クリーム抜きにしたのは、痩せるためのささやかなあがき。



ここは、落ち着く。多分、いろんな人の感情が混ざりきってしまってるから。誰が苛々してるか、疲れてるか、ちっとも見えないから。流れ込んでこないから。



ここで、眠っちゃおうかなあ。


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寒椿。西川緑道公園にて。



助けて。逃げたい。誰かどこかに連れていってよ。



何が怖いの?



わかんない。たぶん、全部。

苛々や涙や疲れやさみしさ、それに痛い思い出をミックスした灰色の水入りのコップの中を、漂っているの。溢れそうだ。表面張力で、どうにかもちこたえているって感じ。


でも。誰かにすがりつくことはしたくない。誰かのお荷物になるために人を求めてはいけない。さもないと、ますます自分が嫌いになりそう。



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こっちも、本日購入したノックマンプラネットたち。天使ノックさんは、シークレットなのです。

「貨幣の一方通行だね。使うだけ」、と、頭の左側で自分が囁く。

・・・うん、そうなんだ。




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すでに二つも日記を抱えてるのに、また作ってしまいました、フォト日記。ばかじゃないの!


・・・ここは、しばらく本館と繋げないでやってみるつもり(だって、すぐ飽きちゃうかもしれないもんね!)。気に入ったものがあったら、携帯からぱちりと撮って、送ってみようと思っています(スキャナーで取り込んだ写真とかも、送れるのかなー)。
あっちに書くまでも無い、小さな小さな独り言も、こっち。

まずは、テスト。ねずみの乗った、ノックマン。今日からうちの子です。


・・・ピンぼけ、してる。


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ほとんど作品ごとに「うう、この作品が一番かも・・・!」なんて涙していた一冊。これは、ヘッセの大人向け創作童話集。全九話です。

ここ最近の、一番のヒットかも。



童話だけど、とても深遠なテーマを秘めていると思った(美とか愛とか、単純な言葉で代用してしまうと陳腐になっちゃうんだけど。言わば、言葉という形の向こうにあるものへの追求というのかしら・・・。その追求にこそ、人生の意味を見出そうしてるように感じられる)。そのテーマを、何度も何度も違うメロディで奏でているんだ、ヘッセさんは。

全てが夢の中のように柔らかく美しい表現なので(原文もそうなんだろうけど、訳者の力もすごいと思う!)、それを壊さないように、そーっとそーっと、息を詰めて読む。ラストシーンではいつも胸がぶるぶると震えてしまい、声を出して泣きたくなるのだけど、なんだかそれをするだけで台無しになりそうなほど、繊細で脆くて、美しい世界。大好きだ・・・(涙)



特に好きな作品(どれも好きだけど)を、いくつか紹介。

「アウグスツス」・・・お母さんが「誰にでも愛される子になるように」と願ったために、愛を知らず傲慢になってしまい、生きる意味を見失う青年の苦しみと、救済(こうして書いちゃうとあんまり面白そうでもないんだけど、その救済までの過程が細やかで良い)。これは、こないだ書いた「お母さんが読んで聞かせる絵本」に載ってたけど、あっちはダイジェスト版だったのね。さらに胸を打つ作品になってました。自分を憎み、さげすむ人々の中に、ほのかな優しさの炎やそれぞれの人生を見出し、それがために彼らを愛するようになる主人公。悪人から善人にかわって、はい終わりじゃないところが良いのです。彼が赦されて、少年時代の夢の中(それは二度と目覚めなくていい夢なのだけど)へと還っていラストくシーンあたりは、もう駄目です。泣く・・・。この作品は、子どもにも分かりやすいかな。



「詩人」・・・この世界のすべての美しさを傍観者として捉え、自分の詩の言葉によって描く世界と、実際の世界が区別できなくなるほどの詩人になりたいと願う青年の話。私は詩人になりたいと思ったことはないけれど、彼の詩に対する切望、求める理想に自分が遠く及ばない時の絶望を共有することはできる。

長い年月を経て彼が完全な詩人となったとき、言葉は失われ、音楽だけが残った。ヘッセの世界では、たびたび言葉がぶあつく邪魔な鎧のように扱われているなあ、と思う。本質に到達する前の、幾重にも重なっている鎧。



「笛の夢」「夢から夢へ」・・・この二つは、ストーリーに違いはあるけれど、美しいものや真実を追いかけるがゆえの歓喜と苦痛を行ったり来たりするような話だと思う。美しいものと調和して歓喜に震える次の瞬間、暗黒に引き摺り下ろされ、地に這っている自分に絶望して・・・そんなことを繰り返すうち、いつしか年老いている自分を発見する。私たちが求めてやまないものは、どうしていつも留まってはくれないのだろう。どうして私たちは、いつでもそれらが逃げる瞬間を見落としてしまうんだろう。読んでいると、そんなことばかりが頭をよぎって、悲しくなる作品。でも好きなんだけど。



「アヤメ」・・・最も好きな作品。幸福な少年時代を送るアンゼルム。全てが美しく輝かしい時代の中で、彼が最も幸せを感じるのは、美しいアヤメ(イリス)の最初の一花が咲き、その花の中を眺めるときだった。その中には、神や永遠を見ることができたから。しかし、少年時代はある日突如終わりを告げ、それまで美しく見えていたものは輝きを失う。青春時代が来たのだ。

さらに月日は流れ、彼は学者として成功する。そして、友人の妹である「イリス」という女性に惹かれていく。彼女のどこに惹かれているのが、自分でもはっきりわからぬまま。本質的に、自分には合わぬ女性であると思いつつも、イリスの中の何者かが彼を惹きつけたのだった。

そしてついに彼がイリスに求婚した時、彼女はそれを拒み、一つの謎を与える。その謎は、彼を苦悩へ、深い考察へといざない、そして最後に「形」を越えたもの、彼が幼年時代に触れていた世界の全てをもたらすことになる・・・。

 

このイリスという女性の言葉が、とても印象に残る。一つは、アンゼルムの求婚に対する言葉。「今あなたにとっておもちゃであるすべてのものが、私にとっては生命そのものなの」であると彼女は言い、そしてまた、彼にとって大切なものが、自分にとってはおもちゃである、と言う。そして、自分はもう変わることはできないけれど、あなただって全てを投げ出して変わることはできないでしょう?と問いかけるのだ。あなたは私をかわいいと思ってくださるけれども、それは結局、美しいおもちゃにすぎないのだとも。

この言葉は、かつて私が誰かに言いたかったことだったから印象に残ったのかもしれない。



そしてまた、彼女は死に臨んでこう言う。アンゼルム同様、自分もまた、美しいものを求め続ける一生であったが、それはすべて「形」に過ぎなかったと。そして今ようやく、「形」の向こうにある故郷へ帰っていけるのだと。あなたもいつか、そこへ到達するだろうと。

この言葉と、物語のラストシーンは、どちらもあまりに美しくて、さびしくて涙が出る。全てを手にするとき、全てが理解される時、それは必ず、人間としての生を終えるときであるから(この童話集の大半が、そういう終わり方になってる)。そうでなくてはいけないのだ、と思いつつ、やっぱり悲しくなるのはなぜなのだろう。

ミヒャエル・エンデだったかな、「死ぬことは、生まれるときに通ってきた門を逆に戻っていくようなものだ」という意味のことを言ったの(全然違ってたらごめんなさい)。あれを思い出させる物語。ヘッセはいつも、幼年時代に戻ろうとしていたのだろうか。あまりにも綺麗な幼年時代が、常に彼を遠くから呼びつづけ、引っ張りつづけていたのだろうか。

何だか、羨ましいなあ。



うーん。なんだかぽーっとなりすぎてわかりにくい感想に終始してる気がする。あ、いつもか。


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ああ~、ごめんなさい!更新頻度がどんどん減っていきます(泣)。決して読書に飽きて書いてないわけじゃないので、また覗いてくださると幸いです。くすん。



ハロウィンも終わっちゃったし、またスキン更新。動物の行進だって、かわいい。



「若きウェルテルの悩み」。うーん、正直読後感は微妙でした。なんだかどっと疲れたよ・・・。よく出来た話だなーとは思うのですが・・・。

感想は後回しで、ざっとあらすじ。



若くて感じやすい心の持ち主で、一言で言っちゃえば「ピュアなんだね」という青年、それがウェルテル。彼は、美しく心優しい女性ロッテに一目ぼれしてしまう。しかしロッテにはアルベルトという婚約者がいたのです。猛烈な思慕に身を焦がしつつ、次第に心のバランスを失い、自殺を考えるようになるウェルテル。この様子が、彼が友人に宛てた書簡、書きかけた手紙を追っていくという形で描かれるのです。

ウェルテルの自殺という形で物語は終わりを迎える。ロッテの動揺、アルベルトの困惑もちょくちょく挟まれて、読みながら結構緊張してしまうんだなー。





では、感想。うー・・・主人公ウェルテルに対して共感するよりは苛々しました。あのね、この人を見てると、自分の中にも確かにある「若さが持つ傲慢さ、醜さ、愚かさ」を強く意識せざるを得ないんだ(もちろん、ウェルテルには心の瑞々しさや、感性の豊かさもあって、そちらからは青春の良さも伝わってくるのだけど)。友人に対して、延々と自分の理想とする世界や生活について語り、世の中の人がいかにつまらない人生を送っているかを力説するウェルテル。その手紙は、知らず知らずのうちに「僕は君たちとは違う、世界の良さがわかるんだ!」という驕りのようなものを撒き散らしているのです。これが一番嫌だった。恥ずかしかった。生活にあくせくする人や、自分を受け容れない人を軽蔑できるのは、若いからなんだよ。



きっと若い人たちというのは(しつこいようだけど、自分も含めて。というか、自分はその最たるものだと思う)、すぐに自己哲学のようなものを打ちたててしまって、そこに溺れる傾向があるのだと思います。それは一見理知的に見えるけれど、全てに主観の網がかかっていて、創造性・発展性がない。自己陶酔の域を出ないのです。

ウェルテルはその中でも繊細な感性の持ち主だし、たぶん人より多くのことを感じ取る能力があるのだと思う。けれど「感じる」だけではだめなのだ。その「感じる」エネルギーを、もう一段進める必要があったのに(その方法は、正直まだわからないのだけど)、彼は結局自己哲学の中に溺れて死んでしまったように見える。自己矛盾も起こしつつ。

それは可哀想と言えば可哀想なのだけど、私は不思議と冷ややかな気持ちで眺めてしまうのだ。だって、死ぬ瞬間まで自己陶酔がかっているのだもの(ロッテにあてつけがましくお手紙書いたり。当てつけるつもりじゃないのはわかっているけど)。何で黙って死んでいかないの?



うーん・・・情熱に正直なのって、そんなに誉められることじゃないと思うな。こんな「好きなんだもん!しょうがないじゃない!」みたいなの、はっきり言ってはた迷惑じゃないか・・・(汗)

ここにある押しつけがましさも、やっぱり「若さ」ゆえな気がする。直視できない。



この本は、読む年齢によって感想ががらりと変わりそう。今は半ば近親憎悪的感覚で読んでるけれど、二三年前なら素直に主人公の純粋さに共感しちゃったりできたかも。そしてたぶん、もっともっと年齢を重ねて読めば、主人公に対してもっとあたたかい理解をすることができるのだと思う。今見えていない部分もわかるだろうし。





巻末には、ゲーテさんの生涯についての年表や解説もあり。恋多き人だったのね、ゲーテおじいさん。そしてその度に精神的に研磨されるのか。ふうん。
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