つぶやいたり、描いたり。波に攫われる前の、ほんの一瞬。
いきものを扱った本って何て面白いんでしょう。理系さっぱりな私にも、生物系の本だけは楽しく読むことが出来ます。世の中にはこんな愉快な生態の生き物がいっぱいいるんだな~よ思ったら、突発的に生物学者に憧れたりして。



 とはいえ、科学的な説明部分は右から左に抜けていってるのですが。



で、これもそんな楽しい生物系の本。テーマはタイトル通り、寄生虫。



第一章なんかは、いきなり寄生虫にまつわる相当下ネタ的なエピソードが出てくるので、デリケートな方や食事中の方にはお薦めしません・・・が。この筆者の寄生虫への愛は、この第一章で十分窺えます(笑)そんなにそんなに好きですか!?寄生虫・・・。彼らの生態を読んでると、だんだん「面白いやつだなぁ」って気にはなったのですが、さすがに愛しいとは思えなかったです・・・(汗)

身近にこんなおじさまがいたら、正直ちょっと近寄るのは遠慮するかもしれない・・・(--;)いやはや、笑いながら読んでたんですけどね。



二章からは、寄生虫の研究成果から見えてくる、私たちの生活についてのお話がとても面白い。一章よりやや学術的な感じかな。ペットが持ってる寄生虫のお話とか、無農薬野菜やゲテモノ食いによって発生する寄生虫禍のお話など、「うへぇ~」と唸ってしまうお話が満載です。ある種の寄生虫にかかると、皮膚アレルギーや花粉症にならないんですって~。うっ、一瞬「そ!それいいかも・・・」と思ってしまった自分が怖い。

 何にせよ、恐れすぎても、無防備過ぎてもいけないのですね。正しい知識を持ちましょう。



余談ですが、これを読み終えた昨日は、晩御飯にイカのお刺身が出てきました。しばしまじまじとお刺身の表面を見つめてしまいましたよ。アニサキス・・・(汗)







全く上と関係ないお話。サイドバーに検索ボックスとかを設置したいのだけど、皆さんどうやってるんでしょう。ううむ。
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 久方ぶりの推理小説。この本も借り物です。



小学校の頃読んだ以来です、海外推理文庫って。一時期、クリスティーにはまってて読み漁ってたのです。今もポアロやミス・マープは大好きな探偵です。どうも私は、推理の面白さや知的ゲームより、探偵や犯人の造形の方に惹かれるタチのようです。このカーの作品もそう。



この「ヴァンパイアの塔」は、表題作を含む短編(ラジオドラマの台本)が集められた本ですが、やっぱり、ギディオン・フェル博士という探偵の出てる話が印象的。すんごい巨漢で、顎は何重にもなっており、リボンのついた眼鏡(どんなのだ)をかけ、猛烈に髭の生えた顔、という容貌魁偉なお方なのです、このフェル博士。でも、私もそうだけど、何となく人懐っこくて、好かれる人なのですね。変に倫理的でないところも好き・・・勝手に犯人を助けちゃったりするしね。九時ごろやってるサスペンスの探偵さんみたいに、突如道徳的な台詞を吐き、自首をすすめたりなんかしないのさ。倫理のためでなく、純粋に自分のプライドのために謎解きをする誇り高い探偵さんが出てくる世界。推理小説の面白さって、そういう日常のもろもろから離れたと世界を楽しむところにあるんじゃないかな?と、個人的には思っているのです。



ストーリーは、推理ものなのでちょっと伏せておきませう(笑)ただ、おもいっきしトリックも殺人の動機もわかってしまう話がいくつかあったのが気になりました(^^;)それでも楽しめたんだけど、推理を極めてる方には物足りないかもしれません。



・・・あと、個人的に、犯人の女の子の描き方が由貴香織里の漫画(カインシリーズに出てくるような)を髣髴とさせるなあ、と。『悪魔の使徒』(あれ、あってたかな?)とか・・・。おかげで頭に浮かぶ映像が、全部ゴスな感じになってしまいました。もともと不気味な雰囲気を湛えた作品が多いしね(そういうの、とても好きですが。)



「プールのなかの竜」が、凄惨だけど印象深い結末で、お気に入りです。
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 私は、力いっぱい文系人間です。そういうわけで、あまり理系の知識の入った文章を読むのは得意ではありません。数式なんか出てこようもんなら、「うぎゃ・・・!」・・・と呻きながら目を背けてしまいますし、理論がいっぱい述べてあるところは、大学の講義宜しく寝てしまいます。

ん、今何か問題発言があったような。



・・・そんなわけで、ちょっと難しかったです、この人の随筆。

「自然界の縞模様」とか、「物理学圏外の物理的現象」とかなんて、文字だけは追っていたものの理解することはすぐに諦めてました(涙)。でも、この人の旺盛な探究心には感服。興味の対象がものすごく幅広いのですよ(物理から比較言語学、俳句、絵画、古典・・・などなど。)。とりあえず興味を持ったものにはぐいぐいと首を突っ込んでいくタイプなんでしょうね。こんな風に、(キャパシティの問題はありますが)様々なフィールドに興味を持つことが出来、多くの知識を吸収できれば最高だなあ・・・と、どちらかというと一点興味集中型の私は羨ましく思います。材料は多い方が、世界は色んな色で見えそうだもんね。数倍楽しいだろうな、今より。



個人的にお気に入りなのは、全集の始めの方に入っている、亡き妻の思い出や幼少期の思い出を語った随筆です。あまり知らないにこんなことを言うのは危険なのですが、私、昔の作家(とくに男性の)の作品の多くに、妙に家族への嫌悪(時には憎悪)やものすごく突き放した冷徹な視線を感じることがあって、それがどうも馴染めなかったのです。でも、この方の「団栗」などは、淡々と描かれた妻や子供の姿に静かな愛情が窺われて、何となくほっとできる。あまりウエットに走りすぎてないのもよいなあ。あとは、「自画像」かな。絵の話題にはぴくりと反応。感性と理論から自画像についてあれこれ考えて描かれた随筆ですが、悪戦苦闘している様を想像すると妙におかしくて、親しみを感じてしまいます。



物理に興味がある人にもおすすめ。私が「???????」だった部分も、きっと好きな人にはとても楽しいはずです(笑)
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面白いですね!はいからさん、名前だけ聞いたことがあったのですが、どんな話か全く知らなかったのです。古い漫画だし、読むこともないだろう・・・と思ってたら、偶然借りる機会に恵まれて、今熱中して読んでます。



主人公が好き、という事態は私にとってとても珍しいことなのですが、紅緒さんがとっても魅力的。ギャグ顔がいきいきしてるのね。それに、目がきらんきらんしてるのに、あんまり重苦しくないんだなあ。そして、女の子キャラクター達の着てる服にも目がいきます。どれもこれもデザインが可愛いんだ。紅緒さんの着てる着物やワンピース、作る腕があるなら作ってみたい!絵を描く上でもすごく参考になる。たぶん、ロリータさんならより心惹かれるのではないでしょうか。(お話も好きかもしれない。)



しかし、誰が好きかと聞かれれば、文句なく蘭丸君でしょう。歌舞伎役者の卵で、紅緒さんの幼馴染。男の子なんだけど、どっからどうみてもほっそりした女の子にしか見えない・・・そして、一途に紅緒さんを慕ってて、「お嫁にいっちゃ、やだ!」と泣き崩れるシーンなんてもう・・・かわいい・・・。健気だしね。伊集院さんなんて霞みますよ(え、そんなことない?)。

あ、それと、鬼島軍曹がとっても好みのお顔です。目元がシンプルで、眉毛が太い(笑)そして顔の傷(これでピンと来る方は、私のことをよく知ってます・笑)



全四巻で、今一巻を読み終えたばかり。結構先は長いのね。しばらく漫画を読まなかったせいか、本を読むより時間がかかる(汗)一巻の終わりでは、伊集院さんが大変なことになってますが、これからどうなるのかなあ。
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五六年ぶりに長野作品初期を引っ張り出す。誰も聞いてないけど、私は「初期の」長野まゆみが好きなんですっ(力説)。今回読んだのは、「少年アリス」・「野ばら」(いずれも河出文庫)



やっぱりいいなあ、この過剰なまでの装飾文体と漢字の多用。すでにこの時点で、イメージに酔っ払ったようないい気分になる。この人工的な言葉じゃないと、この世界は描けないよね。

この頃の作品は、ゆっくりゆっくりよむべきだと思う。速読しちゃうと、綺麗なお店(好きな人にとっては)の前を超高速で走り抜けてるみたいに損をしてしまいます。何一つ映像が頭に定着しない。



「少年アリス」は特に好きな作品の一つ。蜜蜂くんのストレートで意外に強靭なところがお気に入り。アリスでなくても、お兄さんでなくても可愛く思っちゃう。このころの、ずるずるべったりじゃないけど深く信頼しあった友達同士、という関係の描き方、お気に入りでした(今でもね。)

「野ばら」は、「夏至祭」の親戚みたいなお話。でも、私は「夏至祭」の黒蜜糖のほうが可愛らしくて好きです。でも、夢と現実(いや、やっぱりこれも夢?)が浸食しあい、どんどん膨れ上がっていくイメージにはやられます。静かなところで読むのがオススメ。石榴を小道具に使ってるところが、意味深だなあ。



昔、長野まゆみが描く少年の影響で、男の子になりたい!と思ってた時期がありました。植物や鉱物の化身みたいで、生きることへの欲望(その当時はそれがとても醜悪に思えていた。理由もなく)の希薄な少年。ほとんど肉の持つ重さを感じさせない少年。女の子であることがちょっとうらめしかった。



でも、今ではもう、現実にいる男性の少年時代と呼ばれるものと、長野ワールドの少年たちには何の関係もないことに気付いてしまいました。小説中の「少年」たちは、寧ろ一種の「女の子」なんじゃないかなあ・・・(こんなこと言うと、ファンの方が鼻白むかも。こ、個人的な感想ですから。ね?)可能性としての、女の子の身体。なんとなく彼らには、女の人のコンプレックスや願望が反映してる気がします。

そういえば、かつてこの「少年アリス」など長野作品をぱらぱらと読んでみた男の人(子)たちは、皆一様に失笑してたなあ。その失笑の意味、何となくわからないでもないです。でもいいんだ~。異様に見えても、どこかで歪みを孕んでいても、それで何が悪いの?と開き直っちゃう。



完全な「オンナノコ」の本。男の人も、大人も排除した。だって、彼女のほとんどの作品で、保護者としての親の存在って、舞台から切り捨てられている。





しかしそれにしても、この方が私の嗜好や描きたい絵の世界に与えた影響ったらはかりしれない。でもそろそろ、そこから新しい道を開拓しないと。亜流は亜流に過ぎないものね・・・。それも果てしなくレベルの違う。自戒。
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読み終えた本から引越しダンボールに積めているので、なかなか本棚が空きません。

残り二週間ほどで全部読めないのは確実・・・(汗)



この本は、私がちょくちょく「好き!」を連発してる「クラフトエヴィング商會」のお話を書いてるかたが個人名義で書いた作品です。装丁、黒字にぽつんと星一つ。こういう、思わず手にとってしまうような装丁をなさるのですね・・・このクラフトエヴィング商會の方々は。



 お話も、ささやかで、安定してて「なんだかいい感じ」。具体的に、どのシーンが良くて、ここに心打たれて、というのじゃないのだけれど、選ばれた小道具や、会話のはしばしにほんのりいいなあと思わせるものがあるのです。

 多分、この本の詳しいストーリーを私はだんだん忘れてしまうでしょう。でも、古い絵みたいに、殆ど色あせてしまって何が描(書)いてあったのか思い出せなくなっても、シミのようにぼんやり残ってるものが、何度もこの本のもとに私を呼び寄せることになるんだろうな。たとえばそれは、月のように光るオレンジだったり、暗闇に浮かぶ手品師の両腕だったり、つむじ風に吹かれる食堂の暖簾だったり、そういういくつかのイメージの断片だと思う。

こういう本って、大好きなお菓子のように欠かせないものだ。ご飯じゃなく、お菓子。



久しぶりに、ほっとするものを読みました。しばらくいじけてた創作熱、漫画を描こうとする心が元気になってくれそう。これからしばらくは、想像力を鍛える(!?)べく、イメージ喚起の力の大きい本を選ぼうかな。

長野まゆみとか、泉鏡花とか、宮沢賢治とか・・・それから・・・クラフトエヴィング商會の本も!
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ここのところ、少々緊張する本ばかり読んでいるので、今日は読書おやすみ。代わりに(?)学校帰り、川西にあるヴィレッジ・○ンガードに寄ってみました。





・・・え?三月二十八日で閉店?



残念だあ。どのみち二十八には私はもうこの辺に住んでないのですが、どうして閉店しちゃうんだろう。ここの雑然とした雰囲気と、本や雑貨の選び方がとてもとても好きだったのになあ。お客さんもかなり入っているように思ってましたが・・・。



ちょっぴり感傷的になりつつ、今日は見るだけショッピング。300円のレトロ豚模様のティーカップ(ごく小さくて、実用にはなりません。)、可愛かったなあ。いつもここで買おうかどうしようか迷うのです。電車代節約して、買えばよかった・・・!酒井駒子さんの絵本、欲しいなあ。尾崎翠集成と、野溝七生子の小説が並んで置いてあるところがなぜか嬉しいな。



それにしても、この本の選び方と並べ方、何を基準にしてるのかな?ベストセラーだからって、必ずしも置かれていない代わりに、大きな本屋さんには置いてないようなマニアックな本はいっぱいある。店長が選んでくるのかな~。それにしては、どこのヴィレッジも似た感じの品揃えなんだけど(店内のポップも)。好みは分かれそうだけど、私はこのちょっと胡散臭げで怪しい感じが好きだった。



ともかく、大学生活に欠かせなかったお店です。四年間ありがとう(T-T)
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知人の猛烈なプッシュにより購入していた本を、やっと読む。うん、確かにいい本だったよ~。



宮崎駿、といったら、わかりますよね。ラピュタとか、ナウシカの監督さんでございます。その人自らが描いた、絵本(一部漫画体裁)。チベットの民話を基にして書かれているのだそうです。そうだなあ・・・世界観は、ナウシカともののけ姫を混ぜて、そこにちょっとだけラピュタを足したみたいだって思いました。



ああ、いいなあ・・・すごく、「豊か」な絵だなあって思う。猛烈に憧れ、嫉妬する絵だ。(物語も言うにに及ばず色んなものがつまってる。)アニメーションも良いけれど、この方の手描きの絵がこんなに素晴らしいものだなんて知りませんでした。「ナウシカ」の原作も俄然読みたくなる。

シンプルなのに、凛として意思的な目。こういうの、百回生まれ変わっても私には描けないんだよな。う~あ~。あと、紫が入った青がよく使われているんだけど、この色にとても惹かれます。青色好きなんだ・・・私。



宮崎駿氏は、少年と少女にとても期待・・・というか希望を抱いているのですね。この人の中に、若さ(ん?寧ろ「若者」といった方がいいのか?)に対する確固たる理想があって、それが作品作品に、繰り返し登場してるようだな、と、ふと思いました。でも、宮崎キャラの少年少女を見てると、ずっとこの年代の中で生きていたい、時間よ凍りつけ!という気分になってしまうのですよ、知らず知らずのうちに。
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 やっぱり、何度読んでもこのナンセンスワールドは楽しいです。それに、矢川澄子さん好きなんですよ~。創作作品もいいけど、翻訳も好き。この「不思議の国のアリス」も、いかにも女性らしい言葉回しで、かつユーモアたっぷりの表現があちこちに散在。昔他の方の訳で読んだ時と、だいぶ印象が違います。アリスって、こんなに可愛い子だったっけな?



金子國義の挿絵も良い味出してます。表紙にこの方の名前を見つけたときは、・・・ちょっとイメージが・・・(汗)でしたが、どうしてどうして。ちょっと妖艶でありながら妙に男性的な顔かたちなのに、だんだん素敵だなあと思えてきてしまう。パステルカラーをくすませたような背景色も、懐かしいこのお話にぴったりな気がします。個人的に、兎の絵と、芋虫との対話シーンの絵がとても気に入りました。テニエルとはまた違った印象。



これまで全く注目してなかった・・・と言うより、カンチガイしてたラストシーンがいいのですよ~。私、今日までラストを「トランプがいっせいに襲い掛かって、で、アリスは目を覚まして家に帰って終わり」だと思ってたのです。けれどそうではなく、ラストは彼女のお姉さんが、妹の夢に出て来た不思議な生き物達、そして可愛いアリスの夢を見ながら、「アリスが大人になっても、きっと素直で優しい心を持ち続けてくれるに違いない。そして、こんな楽しい夏の日の思い出だって、きっと心の中に残っているに違いない」というようなことを考える、という場面だったのですね~。このお姉さんが、柔らかいイメージの中にちょっと哀しさを漂わせてる。彼女は「目を開ければつまらない世界が広がってる」ことを知りながら、夢の中にいるのです。ほんのいっとき、アリスの導きで少女に戻る瞬間。私も久々に読んで、このお姉さんの気分を味わいました(わ、なんてセンチメンタル!?)。
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・・・これで高野悦子さんには一区切りつけよう。今日、梅田の古本屋さんを梯子して、ようやく発見。うっ500円・・・!そうか、ブッ○オフとは勝手が違うんですね。



これまでの二作とは違い、少し落ち着いた気持ちで読める。十四歳から十七歳までの、記録。だから、結末を「自殺で閉じた」人の日記ではなく、感受性の豊かな、早熟な少女の成長として読むことが許される(?)。そういうわけで、私はこの日記に関しては、ひたすら軽薄な感心ばっかりしていた。



 十四五にして、この自己研鑽に対する努力はなんだろう。そして、自己と外部世界との関係に対する関心の大きさにもひたすら頭が下がりました。同じ年頃、私何してた?根拠なく(ここがポイント)周りへの優越感、人間不信に浸(いや、むしろ今だって、社会に対する関心なんかほとんどないかも・・・)

 彼女はそうじゃなかった。常に周囲の友人から、高いものを感じ取り、自分はまだまだだと叱咤し続けている。この頃から、人を愛するのに全力をもってしてたんだね。愛することも、憎むことも人並みはずれたエネルギーを使って。・・・こんな風には生きられないです、とても。

振幅の大きさにへとへとになって、すりきれてしまう。

それから、読書量に圧倒される。しかも読書領域が幅広いよ!ああ~、まだまだだなあ・・・。彼女にとっては、読むことって愉しみのためじゃなく、自己を磨く手段、修行の一環のようなものだったのかしら。

ただ、彼女でもたまに、他の義務から逃れるのに読書を使ってる場面があって、そういうところを読むときはちょっぴり親近感をおぼえました。



こんなに頑張ったのにね。「暗、非、黒、陰・・・・・・、といわれるものにはなりたくない」と願ってたのにね。ままならないものだ・・・。
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パニック。頭が恐慌状態。

こういう話になってるとは・・・かなりの衝撃を喰らいました。



あまりにも強い拒否反応が、私の中で起こってる。テヌーという少女に与えられた壮絶な暴力(これはもう、児童書じゃないよう)。テルーが感じる男達の蔑視、優越感、拘束。「自分が常に力を与えてやっている、と信じて疑わないくせに、それどころか常に何らかの形で女性を損ない続けている」男性像があちこちで見られるために(そしてそれに対する苛立ちもまた、テナーによって再三語られるために)、私の中でくすぶり続けている、異性に対する反発がどうしても呼び覚まされる。嫌だ、こういうことは考えたくない。上述の男性像が、中盤までのゲドにも見られるから、余計ショックだった。ゲドには常に立派でいてほしい、なんて望まないけど、「(女王というのはたまたま王が女だっただけのこと、という前置きの後、)その場合は男たちが女に力をくれてやっているにすぎない」だの、「男たちは女に自分たちの力を使わせてやってるだけ」だの、言わないでくれたらよかったのに。

もう一つの苛立ちは、男性反発を起こさせるこの描写が、「あまりにフェアでない」と思えてしまうこと。これはあんまりだ。男が常に加害者であり、女は被害者なんて。フェアじゃないし、これが事実ならどこまでも私たち女はみじめだ。それにテナー、ゲドと一緒になった時から、前の夫との全てを否定してしまうのは、なぜ?いつも夫や息子は妻や母の敵になっちゃうの?

 

 確かに男と女は持ってるものは違うと思う。だから、魔法は男性にしか使えないって言うならそれはそれでいい。けれど、違いを否定してしまうんじゃなくて、その違いを受け入れて、その上で生み出すものが見たかった。

・・・もしかしたら、そういうこと書いてあったのかな。読めてないのかもしれないよな・・・。正直なところ、「男」対「女」の構図に目が眩んで、周辺のテーマもよくわからなかったし。再読、熟読が必要だぁ・・・。しかしちょっと、今のキャパシティを超えているよ~・・・フェミニズムは色々しんどい。



最後に。ゲドの変わりようより、テナーの変わりようのほうが数百倍ショックだった。「こわれた腕輪」がものすごく好きだっただけに・・・でも、一つの救いを得ても、ハッピーエンド、おしまい、にならない点、また次のものに対する戦いがある点に、とても厚みを感じるのも事実だったりしますが。
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序章より、さらに重い気分に・・・ううっ。



感想は、序章に対するものとほとんど同じ。何というかまだ、ちょっと混乱してるところもあるのだけど、とにかく考えたことをメモ。



前作より、言葉にぎこちなさは減ったけど、時代思想の言葉の完全な借り物が増えた気がした。それから、「本を読むこと」の弊害について考えてしまう。他者の言葉や他者の人生では自分は語れない、安易にそこに答えを出すのは危険ということ、時々反省しつつも、それをやらずにいられないものなんだろうなあ、彼女だけじゃなく。本の中の言葉と、自分との距離をうまくとる難しさ。私自身、ちっともその距離のとり方がわからない。すでにこの日記に対してだって、入れ込みすぎている。

 語るべき自分、を見つけ出すことも、自分だけの言葉と言うものが本当にあるのかどうかも、この人と同じように(?)疑いを持ってしまう。ないと認めるのは、恐ろしいけど・・・。



自分をとりまくものへの否定と攻撃によって、自分を位置づけようとするのって、とても痛ましい状況だと思われてしかたない。なんだか、彼女は本来敵でないものまで、仮想敵と看做すことで自分を保とうとしてるような気がした。社会への反発、親(特にこっち)に対する否定があまりにも唐突で、根拠に乏しい気がしたからそう思うのかな・・・でも、実際「否定」「対立」によるほうが自分の輪郭ってはっきりするような気がしてしまう。なんでだろう・・・考え込むところ。



それから、この時代のことについて、もっと知りたいと思った。実のところ私は、大学紛争というものが何で発生したのか全く知らない。何がこの頃の学生をあんなに怒らせていたのか、実はさっぱりわかっていない。ただ日記から感じるのは、どうしてこうどの人もこの人も、白か黒かはっきり立場を明確にすることを強要するのか、迷っている人を「君は考えが浅い」という言葉でもって切り捨てられたのか、という疑問ばかり。両親達は学生運動の最中に大学生だったのだけど、いわゆる「無関心派」だったらしく、「授業が妨害されて、休講ばっかりで困った」という話くらいしか聞いたことがない。

本当は、何があってこうなったの???

「青春の墓標」とか読んだらわかるかなあ・・・深入りするのは危険な気もするけど。



ここのところ、自死した人の本ばかり選んで読んでいるなあ。自分でもどうしてかわからないけど、行間に垣間見える、この人たちが辿らなかった道、もう一つの可能性に行き着くはどうしたらいいのか、考えたいからなのかもしれない。・・・こじつけ?
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エッセイではなく、日記です。二十歳で線路に飛び込んで亡くなった大学生の、日記。「二十歳の原点ノート」「二十歳の原点序章」「二十歳の原点」の三部作で、新潮文庫から出ていたようです。今は、最後のものしか売られてません。これも、古本屋さんでたまたま発見。



小学生の頃、「二十歳の原点」の単行本を父の実家で掘り返し、途中まで読んだ覚えがあります(途中でとりあげられた・・・)。幼心にインパクトのある内容だったので、今回衝動的に購入。でも、筆者の年齢越してしまったんだなあ・・・駆け足で。



学生運動などの話題が頻繁に出てくるので、ちょうど我が両親の世代に生きた女性のようです。読み始めの感想としては・・・

その強烈な自尊心と、劣等感と、それを自分で責めるところと、そこから覗けて見える自己弁護の態度が・・・

自分のウェブ日記に共通するところがあって、とても恥ずかしい(ずーん)。と、当然、果てしなくレベルは違うんですけどね。別にお前だけじゃないのよ、そういうこと考えてるからって人より上だと思うなよ、ばーか。という、パンチを喰らった様な気分になりました。うう・・・



真面目な感想。前半部分を読んでるときは、この人、多分私が最も恐れるタイプの人だなあ・・・と感じていました。あまりにも全てを知りたがる。何もかもを明らかにしようと、言葉で支配しようとしてる。読み進めるうち、それがかなり意識的になされたものであることがわかってきてからは、逆にいたたまれなくなってしまったのですが。

 日記の中には、行動や思想、その出来うる限り全てに定義を与えようとした跡が見えます。その定義は、時に幾分幼い印象も与えるのですが(や、私十八九のときこんなことまるで考えてない子供だったのですが・・・・)。そんなにさ、若くして全てのものの輪郭って明確に出来るのかなあ・・相当背伸びしてるんじゃないのかなあ、と思ってしまう(そうか、曖昧なまま残していけるような図太い神経だから、しぶとく生きてられるのか、私は。)。すごくぼんやりした太い線に、無理やり油性ペンでがちっと線を引いたような定義の仕方。そこから零れ落ちるものは、どう処理していくつもりだったの?見ないで済ますことは出来なかったはず。

勿論、彼女は自分に対してもそのきっちりした線引きをやろうとしてるようです。と言うより、自分に対しての線引きが一番厳しい。でも、読んでたら、「それは無理よ、絶対無理です」と言いたくなってしまう。ただ、一旦そう決めてしまったら、なかなかそれに従わない自分を許せないだろうなっていうのも何となくわかる気はします。自分を否定する声が一番辛辣で、逃げられないものだよな、たぶん。その自己否定の声は、時に活動の同志(?)や親、友人の声を借りて、彼女を痛めつけている気がする。そんなにあなたが思ってるほど、周りの人だって立派だったわけじゃないんじゃない?と本に向かって言ったって仕方がないんだけど、(もし本人に言えたって何の慰めにもならない)胸が痛む。



時々出てくる、自然や人間のちょっとしたしぐさに感じる思いを言葉にしないで、ぼんやり持っておける人だったらよかったのにだろうか?彼女は、日記の中で「感性的人間」であることを否定し続けていたけど・・・。死んだ人に、「たら」だの「れば」だのは無意味だけど、まだ生きてる人になら、この日記は何らかのメッセージになるかもしれない。・・・わからないけど。



「序章」の最後にはいろんなことがあって、相当混乱を抱えるところまで来てしまっている彼女の姿が見えます。どうしよう、このまま続けて「二十歳の原点」読んでもいいものか・・・でも、きっと読むだろうな。

「二十歳の原点ノート」も、あわせて呼んでみたい。



特別文才を感じたり、すばらしい文学だ!というものではないと思うけれど(主観)、ただ、こんなに時代が変わっても、人の苦しみの根底には同じものがあるのだ、という点で、何かの指針にはなるかもしれません。程度の差こそあれ、普遍的な悲しみなんじゃないかなあ・・・と。少なくとも、下手に「ワタシダケ」という自己憐憫には浸れなくなりますよ。うーん。
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読書日記のデザイン、気付けば同じニワモモコさんのデザイン。画面上をクリックするとところどころ仕掛けがあるし、可愛い。



で、「カッレくんの冒険」。うわあ、過激。今回のは誘拐なんて生易しいものじゃないんですね~。金貸しのおじいさんが射殺され、たまたまエーヴァロッタが犯人を目撃してしまうのです。しかも、口封じのために毒入りのチョコが送られてきて、友達の犬が死にかけたりと、随分物騒な事件展開・・・。そんな重い空気を、立ち直りの早いエーヴァロッタや、ケンカ仲間達との友情が救ってるのですね。シックステンたち、脇役三人組のキャラクターの個性がこれまでより詳しく描かれてるのが嬉しい。



しかし、「金貸し」だったからって、あまり誰にも同情されてないおじいさん、ちょっと可哀想です(汗)子供には優しい(?というより、寛大な、か)人なんですけどね・・・。



本筋とは関係ないのですが、ここの子供たちの、ご飯さえ食べに帰れば、そのあと夜中まで遊んでてもたいして叱られない環境がうらやましいです(笑)大人たち、限りなくおおらか。リンドグレーン作品の特徴なのかな~。それにしても、夜の空気の中を、裸足で駆け回るのって、想像するとなんとも不思議な魅力があると思うのですよね。いいなあ・・・。
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 さて、これでしばしケストナーとはお別れか。



ポケットに入っちゃうくらい小さな、小人のメックスヒェン君。彼は、お父さんのように、また友達のように親しい魔術師「教授」の力を借りて、素晴らしい芸人になります。彼らは一躍時の人になり、サーカスの一番人気をさらいますが、そんな時メックスヒェンに危険が・・・



レムケの挿絵(タッチがまたいいのですよ~、お菓子の包み紙に使ったら絶対買ってしまう)に出てくる子供の顔が素敵だなあ・・・特に小人くんの可愛いこと!物語にいっそう華を添えてます。そうそう、この人の描いてる魔術師は、ケストナーの顔に似ている(似せてある)そうですよ(解説より)。眉の太い、男らしい人だったのだなあ・・・もっと線の細い方かと思ってました。へー。



特筆すべきは、メックスヒェンと教授のほほえましいやりとり。お互いがお互いのことを、どんなに大事に思ってるかというのが至るところににじみ出てます。ほわんと、あったかい気持ちになれる。メックスヒェンが、今だけ大きくなりたいな、そしたら、まともに腕が長くなって、あんたの首に抱きつけるから、などというところは、教授でなくても「かわいいやつ。」と思うことでしょう。

最後に、ケストナーの作品にたびたび登場する、ちょっと乱暴ものでがさつなんだけど、勇気もあるし信義にも厚い少年のことを書いておきませう。このお話にも例によって、そんな男の子が出てきます。ヤーコブくんという子なんですが、なかなか口が達者で面白い。お母さんが自分に構いすぎることに腹を立て、お父さんに抗議するときの口ぶりには、思わず口元が緩みます。可愛い生意気君、です(^^)
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ぽつぽつと読んで、ようやく読了。



ほんとに、ちょっとしか読んでなくて作家の好悪って言えませんね・・。一口で纏めるには多すぎる作風の種類、と思ってしまった。お話を作るのが上手い人、というのはこういう人なのかもしれない・・・

これを読んだからといって、芥川龍之介が大好きな作家の一人になったというわけではありませんでしたが。でも食わず嫌いはいけないな。うん。



後半の収録作品は、気が滅入るものが多かったです(汗)ずずーんと。「玄鶴山房」とか「枯野抄」とか・・・人間の姿。姿。うーん・・・「河童」は、これまた人間の戯画みたい。実際にはほぼ不可能に等しいけれど、今生きている世界を、完全に客観的な目で眺めたら、実はものすごく滑稽で、醜悪で、でもちょっといとおしいのかもしれない。

「或阿呆の一生」は、・・・何と言ったらよいやら。とにかくうなだれてしまいます。ものすごく冷徹な印象。でも、ときどきものすごく美しい描写の章があって、どきっとする。

中でもお気に入りの第十七章。「蝶」というところ。抜粋。

 藻の匂の満ちた風の中に蝶が一羽ひらめいていた。彼はほんの一瞬間、乾いた彼の唇の上へこの蝶の翅の触れるのを感じた。が、彼の唇の上へいつか捺って行った翅の粉だけは数年後にもまだきらめいていた。



だれかこれ、映画にしてくれないかなあ。無声映画とか・・・。
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うぬー、春らしくデザインを変更しようとしたら、ブログ欄が緑色。文字消しが出来ません。せめて灰色がよかった・・・。



ケストナー少年文学全集も、残すところ二冊。これはその一冊です。世界中で戦争が繰り返され、人間は会議を繰り返す。これに怒ったのがライオンやゾウなどを始めとする動物達でした。「これじゃ人間の子供たちがかわいそうだ!」・・・てなわけで、彼らは世界中の動物達を集めて、戦争をやめさせ、子供たちを幸せにするために「最初で最後の」会議を開くことにするのです。さて・・・

というのがストーリー。ん~、「五月三十五日」の荒唐無稽な感じを、もうすこし子供向けにして、教訓めかしているという印象。殆どどのページにも出てくる挿絵と相俟って、とてもユーモラスです。何と、絵本の中の動物やら、ミッキーマウスまで会議にやってきちゃうのですから!



この本、子供にはあくまで優しく、にこにこと楽しいお話をしているようですが、その間から、大人に対しては痛烈な皮肉を飛ばしています。「最初で最後の会議」というのもそう。会議を何度も何度も繰り返して、それで一向に問題の解決できない人間とは同じになるまい、ということでしょうか・・・。

こういう、ケストナー特有の教訓めいたところ、皮肉がけっこう露骨なところには少し反発を感じます。あと、どの作品にも「子供はどこまでも可愛く純真。大人はそれを忘れてしまうんだ」というテーマが根底にあるように思われるのですが、そのことが少しひっかかる。理想化されすぎてやしない?なんて、皮肉な見方をしてしまうのは、もはや「可愛く子供らしい子供」という理想が崩れた時代だからでしょうか。



こんな憎まれ口きいてても、好きなんですけどね、ケストナー。
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今回は、いつもよりは読むとこがすくないかな?特集は「春の乙女映画ガイド」。



乙女映画の必須条件、っていうのがイマイチわかりかねましたが、ちょっと見たい映画も発見。「ピーター・パン」実写と、「パーティー★モンスター」。「ピーター・パン」、なんか映像が良さそうです。そして、ストーリーもやや大人向けらしい。・・・ピーター・パンが可愛いなあ。そしてフック船長が耽美~!み、観たい観たい!!!岡山に来ればいいけど。

「パーティー★モンスター」は何というか、エキセントリックでどぎつそうな映画(笑)でも、こういうのも悪くないかも・・・と思ったり。でも親誘っても断固拒否されるな(笑)マコーレ・カルキン君は美しく(ちょっと妙な感じに)成長したんだな~。昔より好きな顔だ~。



他に注目すべき記事と言えば、あ!「FROG STYLE」の特集!わああ、グッズがいっぱいだ!やっぱりあのカエルたちは、乙女心に直撃する要素があるんだな・・・とにやり。私は乙女じゃないけど・・・ね。
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 「南条あや」という女の子、生きていたなら23歳。殆ど管理人と同世代の彼女は、卒業式直後、自ら命を絶ちます。その彼女が、最後の三ヶ月をサイトの日記に綴った記録が、この本。

ここから先は、反転表示にしておきます。精神系の話題がどうしても受け付けられないという方もいらっしゃるでしょうし、彼女と同じ苦しみにある方たちにとって、私の感想はあまりに無責任で的外れなものに感じられる可能性が高いからです。



彼女の存在を知ったのは、半年ほど前でした。Cocco好きの方のリンクを廻っていて、彼女の日記が掲載されたHPにたどり着いたのです。

どうして日記を読んでみようと思ったのか本当のところ今でもわかりません。でも、妙にからりとした口調ながら、欝のこと、壮絶なリストカットのことが綴られた日記を、私は全て読みました。痛々しくて、時には気分すら悪くなったのに、読まずにはいられなかった。そのくらい、こちらの心を否応なしに引きずり込んでいく日記だったのです。



反面、その時にも、もう一度文庫になったものを読んだ今も、ここにあまり長く留まっていてはいけないという恐れがありました。彼女の経験や苦しみを、都合よく、自分の中に取り込んでしまいそうな自分を意識したのです。彼女の苦しみや経験は私のものじゃない!と自分に言い聞かせていても、どこかで「わかるわかる。私も同じ、苦しいの」と言ってしまいそうになる。本質的な部分じゃなくて、安っぽい表面の部分で同調してしまうというか。そうして、次第に日記の内容から「南条あや」を見るのではなくて、自分の中の鬱々とした部分にばかり目を向けるようになってしまいそうになる。でもそれは、多分、いいことじゃない。とても危険なことだと思う。

だから、この本の帯にある「同時代を生きる十代のバイブル」という謳い文句には、少し割り切れないものを感じました。



高校の頃、ものすごく晴れてて、風も気持ちいい日があって、アスファルトに陽がびかびか反射してたことがある。そういう時に自分の影をみると、反対に恐ろしく真っ黒で、「あ、ちょっと気を抜くと、こういう真っ暗なところに落ちるんだ。ほんとに、ちょっと誰かが押したら、私はここへ落っこちるだろうなあ・・」と思って、怖くなった。でも、ほんの少し、そこへ惹かれた。

たぶん、そういう、死ぬ「チャンス」をあまりに身近に感じる、そしてそのことに対して恐怖と欲望を一番感じるのって、十代なんだろうなあ、という気がする。けれど、その一方でそういう自分をしっかりつかまえておけないのも十代だろうなって思う。

私が十代でこの本に出会ってたら、どうだったろう。それも、一番精神的にひどい時期に出会ってたら?それは、私にとって「ほんの一押し」にならなかっただろうか?出口に見えなかっただろうか?南条あやという人間の受けた、いじめや父との確執、対人関係、さまざまな苦しみを本当にわかるわけでもないのに、都合よくそこに自分の姿を重ねて同じことをしなかったと断言できるだろうか??



今は、わからない。でも、私が十代のとき、この本を知ってたら、まず絶対に飛びついて「バイブルだ」という言葉を素直に受け取っていただろうな、と思うのです。

耳当たりのよい言葉に、何の抵抗もなく。





それにしても、彼女の日記、始めの方は壮絶な描写がものすごくあっけらかん、と出てくる。擬音語や(笑)のようなツッコミだらけで。でも、それが余計に、文字の中の彼女と、現実の彼女の溝を深め、混乱を深めたのではないかとふと思いました。しんどいしんどい誰も信じられないって、見る人を意識しないで書けるような人じゃなかったのかな。

それだけに、日記の最後の最後部分はもう、ふざけてみせる余裕すらなかったことが感じられて、とても痛々しい。



誰かが、本当は何を考えているかなんて、誰にもわからない。けれどわかって貰うことを期待せずにはいられない人が殆どなんだ。自分も含めて。

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